姫路へ行って丹波へと来て,帰りは琵琶湖の北を回ることに.
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アルバム 150704-0706_兵庫・滋賀 |
京都府を抜けて若狭の小浜へは日が出てすぐの頃に到着.

小浜城は海辺のデルタ地帯に作られましたが,全域が宅地化されてほとんど残っていません.本丸のあった一部だけが小浜神社の境内として残っています.

わずかにしか残ってないと聞いていたんですが,小浜神社を囲うように立派な石垣がちゃんと残されています.
とはいえ住宅地のど真ん中で早朝にカメラ持ってウロウロも出来ず軽く巡ってから次の場所へ.

続いて若狭の付け根,金ケ崎城跡へ.

金ケ崎宮から裏手の城跡へと.

登っていくと梺が見えてきます.昔はこの平地部分が海だったとかで山続きにか来れない場所なんですね.山城と聞いていたのでてっきり内陸にあるのかと思ってたんですが,海辺の岬のようになったところで確かにここは敦賀の海手の要所らしいな,と.

すっかり園地化されているので痕跡とてないですが,削平地らしいというのはなんとなく.

突端の高みまで来ると岬の反対側に火力発電所の施設.石炭かな?べた一面に山積み.向こうには敦賀のフェリーターミナル.

尾根を歩いて行くとようやく城の名残らしい場所.木戸と名がついてますが,堀切というか竪堀というかそういうやつ.尾根が細くなってる場所で防衛戦を張った場所と言うことですね.
そこから神社の脇へと降りて駐車場へ.
次は敦賀を後にして南下.長浜は小谷城へ.浅井氏の本拠となった城ですね.戦国時代の居城と言うことでかなり規模の大きな山城です.それなりに時間がかかるだろうとまず先に山の中腹にある猫の額の駐車場へ.時間はまだ7時半で平日なので全く人が居ません.梺の資料館は9時からだからやんわり一時間半なら都合もつくかという算段.

人は多く来るようでしっかり整備されていて歩きやすい.

道は湖側に開けているので景色は上々.いつもの通り視界があれで竹生島があやうい.

番所跡から金吾丸を見てから山を登っていきます.

お茶屋跡のこれ庭園跡なのかな?石垣崩れには見えんかったけど・・・・・・.

馬屋,馬場を抜けて大広間への入口の黒金門.崩れてはいるけど石垣でしっかりと固められている様子が見て取れます.

大広間は向こう100mくらいありそうな.大広間の上が本丸.曇りな上に木々が深くて写真がぶれぶれなのでちょこちょこ写真飛んでます.取ったときに確認しないから最近はほんとひどい.そんなことはともかくも,まだまだ山は半ばで,城もまだまだ続きます.

本丸のすぐ裏手にあるのが大堀切.反対側の中丸との間にガッツリと堀割ってあります.

中丸から奥は少し幅が広くなって削平地をだらだらと登っていく感じで曲輪が続いていきます.

京極丸,小丸を抜けて山王丸.旅行記付けるまでの間が長すぎで写真がどの曲輪か分からなくなってやんの.

山王丸を抜けると山頂まで続く山道へと変わります.途中に六坊という寺社跡.六つの寺社を固めて置いていた場所で,搦手だったり,麓からの登城道が延びてる場所なので城下町の寺町と似た守りの考えみたいですね.

さらに登ります.向かうのはあの煙った山頂.大嶽城という小谷城の古い城域があります.

がっつり登っていきます.手前の峰が小谷の本城があったエリア.

20分ほど登って大嶽城へ到着.

結構崩れてしまっているし,茂み部分が多くてあまり分け入りもしなかったけど,なんとなくで土塁・堀が覗えます.

帰り際に山王丸の大石垣.算木積になっていない昔の石積みで苔が良い味を出しています.

駐車場へと下山して,蜘蛛の巣にまみれながら出丸を見学した後に小谷城戦国歴史資料館へ.小谷城に囲まれるようにした谷間にあって平館が建ち並んでいたエリアにあります.奥の山が小谷山.資料館の資料はそんなでもなかったかな.

次は国友の鉄砲の里資料館へ行ってから長浜城へ.展示資料をみて次へ.

姉川の古戦場.
そのまま関ヶ原を巡ろうかと思ってたんですが,雨が降ってきたのでやめて高速へ乗ってしまいました.

ということで全行程1396.6kmの旅でした.
ようやく取り込んだ.旅行データ:2泊2日,写真(撮影536枚,動画0本,計5.48GB),総走行距離1396.9km,使用ガソリン68.11L(燃費20.5km/L),行った城6城(含再訪1城) 久々に燃費ave20km/l台だ. pic.twitter.com/YRsaG8CL6c
— 伊頼 (@imaginalack) 2015, 7月 12