今回は伊豆に行って来たときの記録です.
![]() |
アルバム 140517_伊豆 |
天気が良さそうだったので深夜出発.
日の出前に城ヶ崎海岸へ.

城ヶ崎の日の出.人も居らず久々にゆっくりと眺めてました.ここ最近の旅行では朝の条件が良くないことが多くて本当に久々の日の出を見た気がします.

アップにしたら島影が見えるんですが,これどこだろう.地図を見ても館山までにそれらしい島がないんですけどね.

日が昇ってから周りを見ると大島.結構霞んでますが大きいね.いつか行ってみたい所のひとつです.

そこから散策道を少し,いや蜘蛛の巣払ってそこそこ歩いたような・・・・・・.砲台跡があるということで来てみたんですが,案内板と臼砲のオブジェがあるだけ.伊東市の南側に突き出た高台なので確かに砲台の場所っぽいんですが,石組みがあるような,無いようなな感じでよく分からず.

戻ってきて吊り橋と灯台.

川かと思ってたら海蝕溝なのね.しかしこの浸食はすごい.さすが太平洋.
灯台はもちろん開いてないので次のポイントへ.

大室山.
緑の草原山が綺麗の一言.山の形がはっきり分かるし想像以上に迫力がありました.登れるならと思ったけど登山は出来ないんですね.リフトはもちろん早朝でやっていないのでそのまま次へ.
天城峠を越えてみたかったのでひとまず伊豆スカイラインを抜けて修善寺から下田方面へ.

途中にあった浄蓮滝へ.
駐車場から沢へ下っていくと鱒釣り場とわざび畑の先に.規模よりも玄武岩の岩肌が斜めに走る様が味があっていい感じです.
天城峠を普通に越えて七滝は気がついたら通り過ぎてたのでそのまま下田へ.

はい,下田城です.小田原の下で水軍の根拠地として下田公園という名前で保存されてるような無いようなよくある形の保存状態.整備のための車も入れるように舗装されてたり.
展望台からは水族館のイルカが泳いでるのも見えました.海中水族館と言うだけあって入り江を使っているのがよく分かります.

ちょっと奥へ入り込むとちゃんと地形が残ってて,空堀くらいは分かりますね.

案内板に畝堀が残るって書いてあったけど草でよく分からん.

正面から下田の街へ降りていきます.

観光地となっているだけあって綺麗に整備されてますね.

了仙寺へ.日米和親条約が締結された場所です.がお祭り前の準備中でバタバタしてたみたいで近寄れず.そばにあった宝物館の方へ行きましたが,これがなかなかに面白くてめっけものでした.江戸時代の日本がヨーロッパにどのように紹介されていたかが資料豊富に展示されていたし,もう一つの静と宗教についての展示もなるほどさもあらん.
そのあと開国博物館に行ったけどこっちの方はまあ,良い値段した割りにはという感じですかね.宝物館だけではカバーできない広い下田の歴史という面では拾っておくべきかも知れないけど,宝物館の後だと肩透かしに見えました.
ちょうど下田の黒船祭りというのをやっていたので,どうしようか迷ったけど,混みそうだったのでそうそうに下田を離脱.

伊豆半島の突端である石廊崎へ.近くまで車で行けるかと思っていたらずいぶん前の駐車場に停めることになってそこから歩き.結構登るので帽子を忘れた五月の日射しは結構キツかったです.

灯台.登れると思ってたら指定日だけなのね.そして意外に小さかった.

灯台から先にさらに道が続いていて突端に石室神社が祭られています.ここまで来ると絶景ですね.

荒々しい岩肌を見ながらお参りをしてから駐車場までとって返す.

続いては堂ヶ島.
観光船目当てにきたんですが,残念ながら波のため欠航.ここ数日海が荒れていたものの今日は晴れたのでいけるかと思ったんですがダメでした.

堂ヶ島というと潮の満ち引きにより道が出来たり消えたりする三四郎島が有名.小豆島のエンジェルロードと同じ特徴を持つ島なんですね.
ちょうど道が出来ている時間帯を狙っていたのではっきり分かりますね.しかし意外と遠かった.

もう一つが天窓洞で岩場に出来た大きな海蝕洞窟.ここへ観光船で中に入れるという話だったんですが,欠航なら仕方ない.
ぐるりと回った後で加山雄三ミュージアムを見てから三四郎島へ.
近くに駐車場があるだろうとうろついたけどホテルの駐車場だったり入り組んでたりしたので国道の際にあった5台ほどのポケットスペースへ停めて島へ.道を降りていったら十数台の駐車場があったけど道狭かったので分かってても降りたくはないですね.

干潮時刻近くだったからだと思いますが,結構広い.でもって砂浜道じゃないのね.砂利ですらない礫道.なんだろう,エンジェルロードみたいなのを想像してたのでそこはかとないこれじゃない感が・・・・・・.

足元に気をつけながら少し歩いて振り返った景色はそれっぽいんですけど.

でも際の景色はすごいですね.荒々しく削られた岩島ばかり.これも船の上から見てみたかったですね.

いくつか島が連なっているんですが,一つ目と二つ目の島の間の道が危うかったので一つ目の島をぐるっと回ってから引き返す.
続いては韮山へ.

はい,胸が躍る現存の反射炉.幕末当時の最先端施設が里山の間にひっそりとあると違和感を感じますね.

煉瓦造りですが,耐震補強のためにフレームで補強されています.反射炉は燃料の熱を一箇所に集めて高温で鉄を溶かす溶鉱炉で黒船来航以来急を要していた海防のための大砲制作の要となっていました.大型の大砲を作るために4基の溶鉱炉を連ねてあります.品川台場をはじめとした砲台の砲が作られたとか.

燃焼室から天井を見る.やっぱり写真だと湾曲面が見づらいね.

復元の24ポンドカノン砲.品川台場には台座しかなかったよね確か.
その後ちょっと先にある韮山城跡へ.
16時近くなっていたので資料館と重文の江川邸へ.江川家は天領だった伊豆国の代官を務めた家.パンフレット見たら平安時代から韮山に住んでる豪族だとか書いてあるし.3幕府時代通して一箇所を領し続けるってすごいですね.有名なのは幕末の江川英龍でしょうかね.江戸湾へ繋がる太平洋の半島の海防意識から洋学の吸収を行ない幕府の海防策の先駆けとなった人物として知られます.洋式砲術の導入や先の反射炉建造,銃砲の製造などを幕末騒動に一歩先んじて行なっています.その先に佐賀藩の鍋島氏がいるんですが,数年で伊豆の代官職が後を追うと言うのが何ともすごいところじゃないでしょうか.

正面玄関.銅板葺きは立派過ぎるだろうと思ってたら後から聞いたら当時は茅葺きだったとか.それにしても大きくて立派な建物です.単なる代官の住まいだけじゃなくて韮山における役所も兼ねていたようですね.役所部分は取り壊されているみたいですが,書院や塾の部屋が残っていました.
今見たら屋内の写真撮ってないし.屋内では説明をしてくださったおっちゃんの話聞きながらあれこれくっちゃべってました.いつの間にか閉園の16時半を軽くオーバーしてたので母屋だけでそそくさと退出.いろんな所を旅してくるとあちこちで見てきたものが繋がって見えてきて良いですよね.この日の反射炉や幕末の動きは佐賀城の展示で見てきたことと直結してて面白い.

韮山城跡へ.江川邸の背後にある山と池を使って作られた城で後北条氏の拠点のひとつでした.高さ的には丘城になるのかな.三の丸から本丸まで主に四つの曲輪からなっています.三の丸はテニスコート,権現曲輪は神社.

二の丸からは視界が広がります.遠くに見える富士山は雲の中.

本丸には大分低くなってるけど土塁跡が残っていました.

駐車場へ戻り,帰路へ.途中にある山中城へ立ち寄り.

もう日の入り前だったので本城の方には行かず岱崎砦の部分だけ.
雲の晴れてないけど夕陽を拝んでから帰りました.