140421 沖縄旅行 3日目 中城・那覇編

アルバム 140419-0421_沖縄







翌朝は残念ながらの雨.特に早朝は外に出ることも出来ないくらいの降り方で弱り切っていたんですが,7時を過ぎたくらいから小雨に変わり行動開始.


最初は玉城へ.駐車場がどこか分からずぐるぐるしてたどり着いた先が工事中.丸くくりぬいた城門楽しみにしてたのにそんな・・・・・・.


外からちょろっと見られたけど,うわ~行きたかった・・・・・・.


仕方が無いので次の糸数城跡へ.
ちょっと高みへ行ったせいか霧雨に変わったせいか辺りがむっと霧に包まれていました.


そんな中に現れる石垣.


辺りは誰も居らず風と鳥の鳴き声くらい.これでもかってくらいファンタジー世界です.

残っている石垣はここくらいのもので郭が分かるというものでは在りませんでしたが,森の中にひっそりと忘れ去られている石垣の雰囲気と言ったらここを置いてないと感じてしまいました.



その後南城市の道の駅へ.時間に余裕があったので仮眠をとってから知念岬へと寄り道.綺麗に整備されていてのんびり出来そうな場所でした.これ晴れ抜いてたら本当に絶景なんでしょうね.こればっかりは天気なので仕方ないけどね.


時間を計らって斎場御嶽(せーふぁうたき)へ.琉球王朝の聖地とされている場所ですね.始めに学習施設で斎場御嶽の歴史と見学の注意点のビデオを見てから見学へ.この辺りのマナーについてはしっかりと行っているみたい.心ない人がいたのでしょうが,今も現役の聖地として信仰・参拝する人がいるということでちゃんと気を遣ってのことみたい.


施設から少しは砂道でしたが門を抜けると綺麗な石畳に変わります.


大庫理.鬱蒼とした木々の間にある祈祷場だそうで.


三庫理.この大きさはすごい.これは人工の物なんだろうか・・・・・・.


そしてここにも鍾乳石.したたり落ちる雫は霊水とあがめられたそうな.


池かと思って見てみたら艦砲射撃の砲弾跡だそうな.70年の風化を経てなお未だこのサイズってどんだけの威力だったんだか.


最奥の寄満(ゆいんち).年の吉兆を占う場所だとか.それぞれの場所と同じ名前の建物が首里城内にあって対応していたということで琉球王朝の中でもかなり重要な位置を占めていた見たいですね.琉球のグスクにおいては御嶽(うたき)という崇拝施設が必ず備えられていて,城と信仰が密接な関係にあったことが分かります.沖縄の神話についてもいずれ調べないといけないですね.



道の駅へもどり,不意に見つけた知念城跡へ.国道を山側へそれて急な坂を登っていくと駐車場があり,そこから少し下ると知念城跡があります.沖縄ってどんだけグスク多いんですか.玉城や糸数城からさして離れていないはずなのにここにもグスクがあるとか.


館跡らしき石垣跡.


どん.美しい石垣面と曲線.これが忘れられたように名前も挙がらないスポットになってるとかなんなんでしょう.


そりゃ規模こそ無いし,やっぱり地域の豪族の拠点でしかないみたいだけども,


それでも修復作業中の模様.この一帯が整備されるだけでもこれかなりすごいことになりそう.



そこから一路北へ.中城城跡へ.
このころ再び雨が降り始めてしまって,受付で置き傘を借りての見学.


ここは丘一帯を削って作った城でほぼ綺麗に形が残っている,有名どころ.
両側の断崖とこれでもかと言うくらいに分かり易い梯郭式の構成も含めかなり受けの良い琉球式城郭じゃないでしょうか.

外郭から三の曲輪と脇の門.規模も大きいのでやっぱり見応えがありますね.600年前にこれだけの石垣技術があったというあたり,やはり日本と文化圏が違うんだよなとしみじみ感じるところ.そもそも石垣の構成も違うしね.


三の曲輪脇の通路にある水取の大井戸.がっちりと高石垣で覆ってしまっています.


二の曲輪へ.普通なら危ないからと立ち入りが禁止されるであろう胸壁へも登れます.


太平洋が一望できるらしい.が,雨模様.しかもこの高さで風が強く傘が飛ばされそうでカメラが構えられない.


一の曲輪胸壁から二の曲輪を見下ろす.霧雨を雰囲気として楽しもうにも風が強くレンズが濡れる・・・・・・.


その奥には自然石がごつごつと出ている岩石地帯がありそこを抜けるようにして公道へと抜け,外側から城郭を見学.


お昼を超えたのでゆっくりと那覇市内へ戻ります.まずは浦添城跡へ.住宅街の入り口を間違えたり資料館休みだったりしましたが,浦添ようどれへ.ここは琉球王家尚氏の陵墓.城側面の岩壁に作られていましたが戦争で破壊され,後に復元された物です.


通り道は細く作り付けられていて戦前は岩盤を巧みに取り込んで道を作っていたとか.それも戦争で崩れ去りました.


こういう岩盤と石組みの組み合わせとかすごいよね.地震が少ないから出来るということらしいですが,それでも簡単に崩れそうでちょっと怖いかな.


石垣で囲った陵墓.白いのは漆喰なのかな?


浦添城のほうは石垣とガマが残されているものの普通の公園と言った感じ.高さはさすがにあって展望はなかなか(雨でなければ).


続いて那覇市街地へ.首里城を超えて識名園へ.首里城のある台地と多にひとつ挟んだ所にある琉球王朝の庭園です.いわゆる大名庭園という感じでしょうか.回遊式庭園で池を中心にしてぐるりと回って楽しむ形式は日本のそれと同じ.


ただ,構成物は中国文化の影響を受けているなと感じられる琉球式でなんとも不思議で面白いなぁと.




そこから空港方面へ.最後の訪問地は旧海軍司令部壕.沖縄戦の司令部が置かれた地下壕跡です.小高い丘の内部に全長450mにわたって掘られていてその300mが公開されています.パンフレット見ると復元って書いてあるので結構崩れたり荒れたりしていたんでしょうね.


始めに資料展示スペースで沖縄戦の展示を見た後で壕へ入ります.
コンクリで固められていて割りとがっちりした作りになっていて驚きました.急造だったら剥き出し荒削りかなと思っていたんですが,艦砲射撃にも絶えられるようにしっかり固めて作っていたんですね.


意外と狭い幕僚室.でも壁面が綺麗に整えられています.自決の手榴弾の跡が残されていて部屋はそのままの状態だとか.


展示スペースにもあったけど,大田少将の”沖縄県民斯ク戦ヘリ”の文章は背筋が粟立ちますね.太平洋戦争についてきちんとさらっていない段階なのでまだきちんと意見を持っている状況じゃないのできちんと知っておかないといけないでしょうね.今,幕末から日清日露戦争と順繰りに辿っていますが,世界が関わってくると流れが大きくなりすぎて,把握が難しくて叶わない.


司令部壕を出たら那覇市街でレンタカーを返し,空港へ.
土産物を見繕ったら夕方便で成田へ飛び,雨模様の中を車で帰宅.飛行機だと遠地でもあっという間で物足りないね.とはいえ自分の車で沖縄へ行くのはハードルが高すぎるのでまず無理なんですけど.

そんなこんなで3日間の沖縄旅行でした.城跡と戦跡と自然をと見て回った旅でしたが,それらの関連性を見つけて回れたのでかなり有意義な旅だったと思います.また改めて来直したいと思います.


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