140420 沖縄旅行 2日目 島中・北部編

沖縄旅行の2日目.この日はひたすら北上.

アルバム 140419-0421_沖縄







うるま市の金武湾を望む辺りで休んでましたが,思いの外疲れていたようで起きたときには明るくなっていまして慌てて行動開始.まずは海中道路.伊計島まで往復してきました.


車載動画より.海中というだけあって海が近い.海が近い分高さがなくて写真としてみるとぱっとしないけど,とても気分良く走れましたね.これを朝焼けの中で走りたかったな~.



海中道路からそのまま勝連城跡へ.ここからは私の旅.そう,お城(グスク)めぐりです.ほんとは夜明け前に来てここから日の出が見たかったんですが駐車場が夜間閉鎖されていて車を止められなかったんですよね.まぁそのせいで昨日の夜景に辿りつけたので文句もないんですが,竹田城で受けた”周囲が明るくなるにつれて城の全貌が見えてくる”というあの感動をもう一度味わいたいんですよね.まだ見ていない城でそんな芸当が出来るのってもう数が知れてるんですよね.


勝連城.見ての通り山に曲線を描く総石垣の構造物がはっきりと分かります.山肌のうねりに沿うような曲線が何とも美しいです.


三の曲輪への門.おそらく柱が入っていたであろう木枠の跡が残っています.


一の曲輪から二,三の曲輪を見下ろす.石垣の量に対して決して城の規模は大きくありません.と言うよりもこれだけ?って思えるほどに小さい.日本で言えばこれは砦とも言える規模で,それこそ一地方の豪族の城と言える規模.それがこんなにもがっちりと石垣で作られているんですから文化背景の違いを思わされます.が,これも沖縄の地勢ならではということで,キーワードになるのが前日に上がった石灰岩なんですよ.どうも沖縄に多くあるのは石灰岩層の岩山でそこを削って城を作っているみたいなんです.つまり,石垣となってるこの石灰岩は城作りで平地を作ったときの副産物みたいな物なんですね.日本では土山ですから石を集めるところから手間が掛ったので力が無いと石垣城は出来ないんですが,こっちではそれこそ掃いて捨てるほどに石があったと言うことなんでしょう.台風対策に民家が石垣塀に囲まれているあたりからも日常的に石を用いた建物作りが行なわれていたことが分かりますし,この石垣城にしても”当たり前のこと”なんでしょうね.


曲線を描く石垣の向こうにうるま市が望めます.このはっきりとした高低差も岩石地層ならではでしょうね.


続いては勝連城から北西へ向かい座喜味城跡へ.


読谷村(よみたんそん)の歴史民俗資料館に車を止めて琉球松の林を城跡へと登っていきます.向こう側に見える石垣群の威圧感・・・・・・.


松林を抜けると堂々とした石垣のアーチ門が現れます.


これはすごいのなんの.綺麗な積み石の石垣が少しの歪みもなく整っていているんですもの.これは悲鳴でも上げないとやってられない.


アーチ門.整然とはめ込まれた天板,天のくさび石.


城と言うよりなんか遺跡という感じでしたね.人も少なくてなんでこれほどの物が埋もれて良い物だろうかと思います.


白い石垣,緑の芝生,青い空と海!座喜味城も山の上でそのまま残波岬を見下ろせます.

ぐるりと西側の広場まで行ってから歴史民俗資料館へ.
読谷における民俗文化について資料豊富に展示してあって満足.また,太平洋戦争の米軍上陸点となったエリアとしての展示がやっぱり重いね.目の前の青い海がまんまあの黒々とした海の写真には繋がりませんよ.



坂を下って残波岬灯台.


海の色違うねやっぱり.



北へ向かって万座毛.
ここも石灰岩層の造形なんですよね.修学旅行で来たときの状況がさっぱり思い出せなかったんですが,駐車場へ入った途端に思い出す物ですね.ああそうだったそうだったと懐かしみつつで見てました.が有名ポイントと言うことで人多すぎて若干げんなり.



さらに北へ.
名護にさしかかると予定外に名護城公園の標識が見えたのでついつい吸い寄せられて寄り道.


山の中腹に車を止めて急な石段を登っていくと神社があり(神社で良いんだよね?),脇からぐるりと城跡を見られます.
と言っても他のグスクみたいに石造りでは無いみたい.こういうのを見ると普通に山城だなと感じる雰囲気.説明板によると防御機構はなくて堀切と削平地で構成されているみたい.600年前というから割りと早期のグスクなのかも知れません.


神社のひとつ上の削平地.普通に山城だなという感じで琉球にもこういう構成の城もあるんですね.行けた中ではこの手はここだけだったので特殊なのかも知れないけど.



名護から北へ.八重岳を左手にして回り込んで今帰仁へ.ええ,今帰仁城でございます.


うねうねと波打つ石垣.と言うより石塁だよね.本城の前面で幅をきかせていて初っぱなからこれは,と思わせてくれます.


本城部分の石垣は結構崩れ,はらみを持っているけど,原っぱにその姿でたたずんでいる姿が忘れられた廃墟という趣を漂わせています.


城門.脇には物見窓がついていてなんか凝ってる.


門扉の固定穴もちゃんと残っていてました.
石の荒さのせいか,なんか無造作に積み上げて作ったような印象があるので余計にこの規模と造形のギャップで迫力が増している気がします.


いろいろ崩れてるところ多いけど,世界遺産の有名地で多の観光名所にも近いと言うことで結構人の入は多い方.


主郭に上がってくると,どこの例にも漏れずなかなかの高さ.そしてこの眺め.これに示すとおりに岩山で,なるほどこれだけの石材も容易に手に入るわけですよ.思わず息が漏れます.


主郭の広さもかなりのもの.これも結構な時間使って削って作りだしたらしく何世代かの拡張を経ている模様.


脇から搦手とも言える志慶真門郭へ.高低差と長大な石垣を見下ろす爽快感はまずここじゃないかな.


時間関係なくぼーっとしていたくなるような場所でした.ここはいい.座喜味城の整然とした城郭もすごかったけど確かにこの規模のスケールもすごいですよ.


帰りにルートを外れて大隅へ.順路から外れているせいで誰も来ない.誰もいない.
こんな風景の中を歩くとかもうファンタジー世界ですよ.



今帰仁城でお勤めを果たした後は歴史文化センターで展示を見てから屋我地島から古宇利島へ.古宇利大橋です.


綺麗やね,ほんと.途中で高さが変わっているアクセントがあってなかなか.走る分にも視点が変わって面白かったですね.


今帰仁から屋我地島へ渡るところの道の駅に行くべきだったんでしょうがとっさのことで入れなかったのが残念.


やっぱりこれ撮りたかったんですよ.



そこから一気に北上.辺戸岬のすぐ近くの大石林山へ.どんなところかいなと思ったらこの岩山へとバスでご案内だとか.ちょっとした自然公園くらいに思っていたのにちょっとどころじゃない公園だったみたいで.舗装もされていない林道をぐわんぐわん揺られながら登っていって散策道をぐるり.


やっぱりここも石灰岩層で,雨による石の造形美を楽しむ場所みたい.歩きやすく整備された遊歩道をゆっくり歩きながら不思議な形に削られた石を見てガジュマル他の熱帯の植生をみて楽しむ.


ただの石灰岩層がどうやったらこんな造形になるんだろうね.


少し登って展望台から辺戸岬を望む.左下が車を止めた駐車場&受付.かなり登って来たのに登山じゃないという辺りが不思議.

日没まで少し余裕はあったので帰りはバスを使わず歩いて下りました.と言っても30分くらいだったかな.


下山途中にあるソテツの群生地.




下山途中には大きなガジュマルがいくつもあります.これはなるほど,精霊が住んでいると言われてもさもありなん.



日没ちょっと前に辺戸岬へ.


海岸線の造形を見てると下北半島の仏ヶ浦を思い出します.


ご覧のように曇りなので日没は待たずに撤収.
引き返して南下.北谷辺りまで戻って休みました.


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