すっかり今更になってしまったけど旅行記を残しておきます.
まずは昨年の年始に行った四国の旅行記.
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アルバム 140101-0104_四国 |
年末の締めくくりはコミケのサークル参加で舞台探訪本を頒布していたわけですが,ここ一年半ほどはこの日の頒布を目指して頑張ってたのでまさにクライマックス後.おそらく燃え尽きて自滅するだろうと危惧していたので間髪入れずに気分転換を入れておこうというのが切っ掛け.結果的になんの効果も無かったわけなんですが.
そんなこんなで帰宅してコミケ装備を置いて仮眠,旅行装備に日付が分かる前に出立という慌ただしい年末でした.成田発の早朝便なので高速バスで移動し,日の出少し前に離陸.

西行きなので日の出は背中側なのですが,大地を初日の出が覆っていく様を見るというのもなかなか.2時間もすれば松山空港へ到着.そこから空港バスで松山市街へ.大街道まで行くつもりだったけど気を変えて堀が見えてきた所で下車.

松山城の三の丸堀ですね.山際に四角く切り取ったように付いているのが二の丸,三の丸で,非常時用の山上に対しこちらは常用していた実質的な中核.

今は三の丸は美術館やグランドなどの公園として解放されています.手前の石垣から奥が二の丸,こう見ると高低差がはっきりと分かりますね.ぐるりと堀端を見物しながら二の丸庭園の方へ.

二の丸へ入る黒門口の石垣.打ち込みの目の詰まりようがすごい上に幾折れもしている堅固な作りになっています.ここは本丸への登山道でもありますから要所だったということでしょう.

黒門口を通って入る二の丸庭園は松山城の御殿跡を利用した施設です.御殿の間取りを使った流水庭園となっています.

二の丸の多聞櫓下を通って入った先が丁字なっているのもまた.

御殿の広さはかなりのものですね.配置を間取りととるか庭園の趣向と取るかで迷うところがあるんですが,こういう趣向は面白いと思いました.いろいろお城を巡ってきて御殿の間取りを示しているところはちょこちょこありましたが,こんな風に見せてしまう作りは初めて見ました.

庭園や茶室なども備えられているのでのんびりするには良いのかも.意外と人こなさそうですし.

大井戸遺構.この規模はすごい.火事対策ですぐに水を運び出せるように経路が作られていたという配慮も面白い.また,ちゃんと遺構は遺構として残して見せているのもいいよね.ちょっと綺麗すぎて疑えるけど.でも恋人の聖地のアピール大きすぎる.うん.

庭園を出て,本丸へ.登山口を使って上がっていきます.これが上り石垣で良いのかな?ちゃんとしたのはもっと奥まったところにあるんだと思うんだけど.

距離にしたら大したことは無いでしょう.時間にしても15分かせいぜい20分.勾配こそそれなりにあるので冬装備のみではすっかり蒸し上がってしまいましたが.

細い山道を歩いていった先に大きな石垣が現れるあの壮大さは山城を訪れる醍醐味だと思います.こんな場所に良くこれだけのものを作ったなという感想はいつ行ってもなくなりません.

ここから先は瀬戸内旅行で訪れて以来の2度目の訪問.やっぱり西国のお城は面白いですよ.ほんと.こういうギミックいっぱい使われているんですから.

正月一日ということで催し物もいろいろ.太鼓の演奏をやってましたが,この外国人のお兄さんがめっちゃ良い笑顔してた.

で,本壇へ.白い石垣と焼き板の下見板張りはよく映えますね.建物が密集しているのでその圧迫感もあって迫力はかなりのもの.
現存天守の松山城天守ですが,本壇の半分は昭和8年に火事で焼けたとか.四角く連結している連立式の他の櫓は全て焼失していて,よくまぁ天守まで燃え広がらなかったものだと思います.建物の形式からどことなく姫路城と重ねて感じることが多いですが,幸運で残ったというところも似ているのでしょうか.

中を見せてもらって,天守からの松山市街を眺める.

帰り道は大街道側へ.冬場なんてリフト誰も使わないんだろうと思ってたら意外と人が乗ってて驚きました.夏のくそ暑い日にのってうだったけど寒中放り出されるのも大概な気がするけど・・・・・・.私は下るだけなのでゆっくり下道を下山.
途中の神社で初詣&みくじを引いて堅実に生きろ(意訳)という吉.なんとかいまも生きてます.

街へ下りて前回時間の関係で飛ばした坂の上の雲ミュージアムへ.NHKのドラマ見た影響だったけど内容をかみ砕くにはもう少し予備知識持たないと行けないですね.ちゃんと小説よんで,幕末・明治期の勉強してからまた来ます.

すぐ上に洋館があったので行ってみる.洋館の室内をチェックせざるを得ないのはもはや仕方の無いこと.萬翠荘という松山藩主の子孫の邸宅だとか.洋風建築だけどわざとシンメトリーを崩すという日本的なデザインになっているということで.

内部も綺麗になっていて,展示もなかなか読ませてくれてと楽しめましたね.

そうしてJR松山駅へ.
向かうのは大洲の大洲城.愛媛県内の移動なのでと舐めてかかってたら1時間半もかかるとかで愛媛なめてた.夏に今治から松山までで時間的に結構無理した記憶があったので,松山が結構南に位置するんだろうと思ってたんですが,さらにあるもんですね.特急で40分くらいだったので時間を買桜花と思ったんですが,到着時刻的にあまりおいしくなかったので普通で.
車窓を見てましたけど眼前に海が広がる良い眺めですね.高所から海を見下ろすというなかなかの絶景で,車内にほとんど人がいないこともあって独占しているような贅沢な時間でした.が,前日から動きっぱなしなのと,暖房もがっつり効いてて良い気分で寝落ち.
伊予大洲駅から大洲城まではそこそこに距離があります.
隣の西大洲駅からでも距離はそう変わらないので行くならバスかタクシー.バスを使おうとしたんですが時刻が合わず.特に急ぐこともなかったし川向こうからの風景も見ておきたいということもあったので歩いて行くことに.大洲城は蛇行する肱川を天然の堀として使っている丘城ですから川の側から訪れるのが良いだろうと言うことで.

線路沿いから肱川の河川敷へ出ると対岸に在る存在感.河川敷でたこ揚げする子供達を見ながらゆっくり橋を渡って城下へ.商店街となっている辺りからは古い城下町の趣が伝わってきます.川と山が地形を切っているせいかこの街道の流れはすごく理解しやすいですね.
石垣が連なる登城口を登る.もともと距離があったので地味に達成感を感じていたり.

四層四重の天守が二つの櫓と繋がっている連結式の構造.大洲城天守は木造復元天守.明治期に入っても天守は残されていたんですが,老朽化によって取り壊されてしまいました.内部の展示にありましたが,繋がっている二つの櫓だけが残されている何とも奇妙な状態で,でも木造多層建築だから致し方ないんですけど.時代が落ち着いたところで復元しようという話になるわけですが,江戸時代の天守雛形や明治期の写真など,貴重な史料が多く残されていたためにほぼ完全な復元が実現しました.写真類による外観の史料ですら貴重ですが,江戸時代に極秘であるべき天守の(それも1609年建造)史料が残っているというのですから本当に希有な存在だこと.

脇の櫓から内部へ入ることが出来ます.まだ新しいと言える白木の色と香りは復元であることを物語りながらも,見上げる骨組みは今まで見てきた現存天守の骨格そのもの.これは確かに再建じゃなくて復元だわと思える作りでした.そういう背景があるからでしょうが,展示も幕末以降の部分が多く記されてあって私としては大満足も大満足.

高覧櫓.その一方で連結されている櫓はちゃんと昔から残されている存在感を示しています.このコントラストもなかなか.

日が陰り始めたのでオレンジになりつつある中を再び伊予大洲駅へと同じ道をとって返して,今度は宇和島へ.こっちも普通列車で1時間半.愛媛でけぇよ.今度は特急を使ってさっくり移動.暗くなった辺りで宇和島駅へ到着.
宇和島観光は翌日なのでホテルへ直行してさっさと休みました.