3日目は秋田へ
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アルバム 130812-0816_東北 |
夜に青森を離れて弘前を抜けて男鹿半島へ.目的は未だ見つからない1/2summerのバス停の風景の探索.
田沢湖,千葉,伊豆,下呂,鹿児島どれもありそうで見つからない苦々しい背景なんですよね.よくある里山の風景なので日本のどこにでも見られるということなんでしょうが,写真を元にしてるのは明白なのでなんとしても見つけたいんですが,見つからない.探し回った中でも男鹿半島の中山あたりが一番近そうな気がしたので再び探しに来たわけですが,それでもやっぱり見つからなかったです.

ついた先が入道埼灯台.
前回は日没間近でしたが,今回は早朝.人の少ないところしか見てないので観光地の度合いがどれほどのものか知らない.

そして八望台へ.水平線が霞んでるのはいつものこと.
真山神社へお参りしてから再び中山を見るも合わない.
仕方が無いのであきらめて男鹿半島を秋田方面へ.
途中の断崖にあるのが脇本城跡.

バイパスからすぐ脇の細い道を上がっていくと小さな駐車場があってそこから上が城域です.

これが広いの.
奥へと伸びる天下道に沿って曲輪が並ぶ城館形式の印象を受けますが,そもそも天下道が通っている辺り後代の城を感じます.

高所に位置していて海上交通への見張りにも利のあるあたり中世城郭らしい面もあります.
お盆で帰省してきたらしいご夫婦とすれ違いましたが,前は普通に放置された野っ原だったとか.
それを今はこんなに綺麗に下草刈って整備しているなんて感服しますよ.
特段宣伝してるわけじゃないですから,ここを訪れる人って日に何人あるか分からないのに.
堀とか土塁跡なんかもしっかり残っていてあちこち見ながら歩いていたらじわじわ暑くなってきたので撤収.
続いては秋田市の少し北にある秋田城へ.秋田城というと名前から秋田藩の本城を思い浮かべるかも知れませんが,それは久保田城のこと.
秋田城というのは出羽の地に置かれた政庁跡のことで,すなわち太宰府や多賀城などと同じ城柵のことです.年代にして733年から966年頃まであったという秋田の中心であり,当時の律令国家の象徴ともなっている場所ですね.
一部明治期に遺跡破壊があったものの今は城柵の領域が公園として整備されています.
資料館で秋田城柵の概略をガイドの方から聞いていたらいつの間にか話が弾んで一時間ばかし経過していたという太宰府政庁跡と同じことをやらかしつつ周囲を見てまわる.

政庁中心部の版築土塀.
同じ工法で再現したものの冬の風雪と凍結で下の方から崩れていくとのこと.定期的な補修にも費用がかかるのでそのままだと言うことですが,だからII期,III期と後代の城柵は木柵で作られたんだというガイドさんの話に納得.

そこから外側へ向かうと外郭の版築土塀と東門がやはり再現されています.

地形の起伏も結構あるので正方形じゃなく柔軟な対応なのは多賀城と同じく.

当時の最先端の水洗トイレ.京の都や太宰府でも見られない設備だったとか.
秋田を離れバイパスを走り南下.男鹿半島を走ってるころから目についていたんですが,あちこちの道路端でパラソルが見受けられます.秋田で有名なアレと言うことで欲しかったんですが,脇に停めるのも何なのでと道の駅へ.案の定パラソルが立っていたので購入.

秋田名物のババさんアイス,ババヘラ.
コーンアイスなんですが,注文するとバラの花をあしらった盛りつけで渡してくれます.
ちょうど暑い時間帯だったのでちょうど良い涼になりました.
続いて払田柵.
二つのこんもりとした丘を使った大規模な城柵なんですが,文献に残っていないことから謎の城柵として有名です.
資料館があるのでそこで詳しい資料を手に入れようとしたんですが,ちょうどこの日がお祭りだったらしく資料館は準備会の控えスペースと化していて展示を見ることも出来ず,資料を買うことも出来ずで惜しいことをしました.
資料館前の広場も祭りの準備で大わらわ.大音量で演歌のカラオケをバックに歌いながらのマイクテストを背後に聞きながら払田柵の政庁跡へ.

石組みとおそらくは櫓門跡でしょうか.
丘の中心部には政庁跡と思しき柱跡があり,確かにちゃんとした城柵があった事がうかがえます.でもこの規模持ってて文献に残っていないというのは本当に不思議ですね.

人はほとんどいなくて平野の丘の上にぽつりとたたずむ・・・・・・には暑すぎた.陽炎立ってるんですもの.

続いて金沢城.
後三年の役と言うから平安時代の城なんですが,しっかりと山城の体を成していて立派なものでした.
山の上を綺麗に削平して各曲輪を配されています.

下は断崖.

本丸部分の神社では大勢集まってお祝い事をしてたみたいなので見聞しなかったのと,もう時間いっぱいで資料館に行かなかったので知識が乏しかったのであまりしっかり見られませんでした.奥州の歴史をテーマとしてまた来るのも良いかもしれません.
続いて横手城.
ふと見えたので寄ってみた感じですが,山の上に模擬天守があり,曲輪も面影を残しているんですが,遺構としては寂しい感じ.

本丸跡.
模擬天守の資料館を見て資料もらってから本日最後の訪問地胆沢城へ.

胆沢城は畑のど真ん中に土盛りしてあるのみ.へ?これ?って感じ.
こんなところに政庁があったのかと思いを馳せるもののイメージが湧かない.本当にただの田畑風景なんですもん.
そんなこんなで日も暮れて,日中から咳がひどくなってきていたのもあったので,日数に余裕はあったけど東北旅行をここで切り上げて東北道を南下しました.