130813 東北旅行 1日目 会津編

お盆連休を利用して東北へ行って来ました.

今回は休みの前半がコミケと重なっていた関係でガッツリと予定を組めなかったんですが,比較的近い東北なら行けるかなと足を伸ばしてきました.

アルバム 130812-0816_東北







出発日はコミケ3日目の夜.サークル参加だから体力的に余裕あるかと思っていたんですが,電気街祭りからがっつりフル参戦してた関係で予想以上に疲弊していてぼろぼろでした.

本当は夜中に走って秋田へ突っ込むつもりだったんですが,SAで仮眠したら夜が明けてしまったのでまずは会津へ.


猪苗代で降りてまずは亀ヶ城へ.会津は松平氏のお城で北の米沢への備えとして鶴ヶ城の他に猪苗代に城を許されていました.それがこの猪苗代城です.鶴ヶ城に亀ヶ城という名前はどちらが先なのか分かりませんが対を成している体の名前ですね.
猪苗代城はこんもりとした丘城で規模こそ大きくないもののしっかり作ってある印象を受けました.


構えにはちゃんと石組み.
丘の高さも結構あるし石組みも利用しているのでなかなかに手堅そう.


帯曲輪から回り込むように登っていったので所々からの眺めも楽しめました.米どころというのがよく分かる平野と一面の田んぼ.


外側の土塁がちゃんと残っていて一段低くなった通路にテンションが上がります.


曲輪もちゃんと土塁が!


本丸へ.
そのままというわけではないにしろお城全体で土塁がしっかり残っていることに驚きましたね.やっぱり幕末まで維持されていた城だと土塁の風化具合も大きく違うということでしょう.



続いて日新館へ.
鶴ヶ城のすぐ脇にあるものと思っていたのにいざ地図を見ればお城からえらく離れていて違和感.これ,同じ場所に再現したわけではないんですね.


まぁ確かにこれだけの用地を市街地に用意は出来ないですわな.図面が残っていたということなので建物自体は同じはずだし,等身でこの規模を見せると言うことにも意義はあるはず.


しかし,でかい上によくもこれだけ再現したなと思います.展示もされているし実際に弓道場や武道場は利用されているということなので複合施設として活かしてたというのがなんとも面白い.



続いて旧滝沢本陣へ.
ここは会津から白河街道へ出る際の陣屋で,会津戦争の折の激戦の跡が残されています.建物自体も1678年とかなりのもの.




銃の弾痕がいたる所に残されていて,いかに激戦だったのかが伝わってきます.それも一方向からじゃないんですよ,よくこれでここまで残されていたなと思うくらい.


ここへ来るまで地理的な繋がりが見えなかったんですが,飯盛山ってすぐそこだったんですね.まっすぐに上がるのがキツそうだったので脇からのんびり.


さざえ堂.


飯盛山の上はやはりお参りする人多数.八重の桜の会津戦争とがっつり重なっていたのもあるんでしょう.


飯盛山から鶴ヶ城方面を望む.結構距離ありますね.


200mm(35mm換算300mm)いっぱいでこれくらい.


続いて鶴ヶ城・・・の前に県立博物館に車を置いて自転車で小田山へ.

小田山は会津戦争において西軍がアームストロング砲で鶴ヶ城を砲撃した山です.鶴ヶ城に最も近い山で,高所からの砲撃により鶴ヶ城が完全に射程に入りました.
自転車で行ったものの山へ入ると完全に砂利道だったので押して登り,汗だく.コミケ翌日にまたしても大汗かいて暑さに苦しむという変わり映えのしない状況でした.


小田山砲撃陣所から鶴ヶ城を望む.こっちは圧倒的な近さを感じます.


おなじく200mm(35mm換算300mm)いっぱい.これは近い.



自転車を出したのでと小田山を降りてからも寄り道.善龍寺です.

会津藩家老の西郷頼母の家族二十一人の墓があります.会津戦争の折,頼母の妻をはじめ一族の女子供が足手まといにならぬようにと自刃しました.その亡骸がこの善龍寺に埋葬されています.また,会津戦争のおりに会津を追われ生きながらえた西郷頼母自身も二十一人の墓のそばに眠っています.

このエピソードにしろ,白虎隊の話にしろ,歴史物をなんでも悲劇として語る風潮は私は好きではないんですが,会津戦争を表す象徴的な話であることに変わりはなく,それも事実なんですよね.


静かにお参りをしてからお城へと引き返します.県立博物館の常設展示を見てから八重の桜展の方へも行ってみたんですが,ドラマのことしかやっていなくて肩すかしでした.


お城へ.
こっちは昨年に回っているのですが,再訪なのに見えるものが違うというのが毎度毎度面白い.あちこちに新鮮な発見があるからもう楽しい楽しい.八重の桜の会津戦争が終結した辺りだったので本当に時期もどんぴしゃで良い経験が出来ました.


これだけの入り組んだ石垣群をうまく維持したまま駐車場への誘導路引いたもんです.

八重の桜の最中だし,展示内容変わっているかなと天守閣の方にも行きましたが多聞櫓の方まで含めて基本去年と展示内容同じでしたね.去年見た段階でもう八重の桜関連の展示が置いてあったので,昨秋にはもう迎撃態勢万端だったと言うことでしょう.ということはもう福岡城も迎撃態勢整ってるのかな?

最上階から小田山の西軍砲撃の地を望んだりしながらひと息.
ドラマでやっていただけあってあちこち指さしながら会津の風景を眺めている人が多かったですね.

この城の良いところは本丸御殿の様子をありありと想像出来ることなんですよね.広さが結構あるもののちゃんと見通しがきくので距離感がしっかり掴めてどこにどう建物があったんだろうと思いを馳せられるんですよね.けっして再建を望むわけではないけど,見てみたいね.
正面へまわって西郷頼母邸跡を見てから脇を回り込むように博物館の駐車場へ.



車に乗って次に向かうのは神指城跡.
会津というと保科松平氏と並んで有名なのが上杉氏ですよね.関ヶ原前後の僅かな年月とはいえ130万石の大大名としてこの地に居りました.

関ヶ原の戦を見越してか分からないですが,若松城を手狭と感じ新たに築城したのが神指城です.今は本丸の一部だけしか残っていないという話でしたが行くだけ行ってみようと.

案内板があって散策道の指示がしてあるんですが,道がない.夏場の草に覆われて大して回れないままに本丸がどこまでなのか図れずうろうろ.でも案内板見る感じだと本丸二の丸だけで車使うほどの距離があるんですが,ほんとなんだろうか?
私の勘違いですかね?


歩けないことには仕方ないので会津を離れて二本松へ.二本松城も以前来ているんですが,あの時は震災で本丸の石垣が崩れ立ち入り禁止だったのです.復旧したと言うことで改めて来てみました.


以前と同じく正面ではなく脇の駐車場に止めて山を登っていきます.


以前と同じように水音を聞きながら息切らしながら登って


以前と同じように駐車場の脇を抜けて本丸へ.上にも駐車場があるの素で忘れてました.ま,洗心亭も見たかったしいいんですけどね~.


本丸.
以前は立ち入れなかったので知らなかったんですが,本丸は石垣で一段高く作られてたんですね.脇を帯曲輪のように回って見られるので,松山城みたいな本丸の上の本壇なイメージ.
しかし立派ですよ.
東北にここまでの石組みがという気もしますが,なんと言っても蒲生氏の城ですからね.びしっとした打ち込みの西国の城.


本丸上部へ.
城下が丸々見渡せます.17時をまわり日が片陰になって涼しさを感じられる頃だったのでのんびりベンチで休息.あちこと動き回った良い一日でした.


最後に岳温泉へ.人が少なくて寂しかったけど熱い湯と温泉街の坂道を堪能できました.


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