130602 栃木

先日,栃木へと行って来ました.

アルバム 130602_栃木







前日の夜にふと思い立ち,翌朝に突撃する思いつき旅行となりました.
本当は名古屋へ向かうつもりだったんですが,予定が合わず浮いてしまったので穴埋めみたいなところも少しありました.
ともかくもがっつり旅ではないので明るくなってから家を出て栃木へ.
埼玉からなら高速乗ってしまえば大した時間ではありません.

9時頃に第一目的地の大谷へ.
大谷という場所は大谷石という石材の一大産地.
粗い目の凝灰岩で主に建材に利用されたとか.
今は細っているようですが,大規模な採石跡地が残されていて知る人ぞ知るスポットとなっています.


大谷に来ると辺り一帯が岩山になっていてなんとも異様な光景.
そんなところに日本最古といわれる石仏があります.
それが大谷観音.
半洞窟のようになった建物の中に岩山に弘法大師が刻んだと伝わる石仏が祀られています.
撮影禁止なので写真はないですが,810年といわるには綺麗に感じましたね.
他にも岩の壁面にいくつかの年代の石仏が彫られていましたが,時代を追って風化の度合いや彫り方が変わっているのとか面白いですね.



そこから駐車場裏手の大谷公園へ.これがすごいの.

大きな石壁を抜けた広場にど~んと巨石の観音様が現れるのは圧巻です.
これ観音様をまんま彫り出したということで,つまりこの広場だったところ一帯が岩山で,石材を切り出した跡地であるということですよ.
周囲の岩壁に石を切り出した跡からもそれを実感出来てなんとも不思議な感覚でしたね.


時間になったのでさらに奥へと向かい大谷資料館へ.
大谷公園は開けた場所での採石ですが,地中層での採石も行われていました.
その跡地を公開しているのが大谷資料館です.
実はこの大谷資料館こそが今回の本命でして,なんとしても来たかった場所でした.


資料館の駐車場.
平場堀りの跡で周囲が石に囲まれた空間はここだけでもかなり見応えがあります.
これは江戸時代のものだそうで,近代の採石場跡は地下にあります.
なんでも地層が斜めに潜っているらしいので採石場所も斜めに掘り下げていったということなのでしょう.

資料館の受付を抜けて地下への階段を降りていきます.
地下の室温は8度だそうで,希望すれば毛布を貸してもらえます.


さてその地下空間がこれですよ.
日本にこんな場所があったというか,こんな風に採石するんだと言うこと自体を知らなかったわけですからただただ呆然としていました.


広いんだわ中.ここが石で埋め尽くされていたなんて思えないですよ.


所々場所確認のための穴が開けられているんですが,採光目的じゃないのでうっすらとしか光が入ってこず奇っ怪な雰囲気を醸し出していました.


で,ここですよ.ここへ来たかった.
というのがALcotの鬼ごっこ!にて用いられている背景の舞台なんですよね.
鬼ごっこ!の舞台探訪は昨年の瀬戸内旅行であらかた集め終わっていたんで,あとはこの一箇所だけでした.
ならさっさとくれば良かったんですが,生憎のことに東日本大震災以降,ここは余震を鑑みての長期閉館状態だったのです.
なので分かっているのに探訪出来ないという悶々とした事態に陥っていました.

それがこの4月から晴れて再開となりようやく見学出来るようになったんです.
覚えている方もおられるでしょうが,鬼ごっこ!といえば東日本大震災の影響で一週間発売が伸びたタイトル.
その震災後に長期閉館していたということはつまり,鬼ごっこ!発売後,丸2年越しの探訪地解禁なんですよ.
知ったときは嬉しいどころの騒ぎじゃなかったですね.
そんなこんなで無事撮影を終え,残りも散策.


三脚構えてあちこち撮影していたとはいえ,一時間半以上地下に籠もっていました.
ここは是非また来たいところです.


大谷資料館を出たら足利へ.
目的はすでに達成されたのであとはついでにどこへ寄るか.
宇都宮や日光でも良かったんですが,足利に今年国宝になるお寺があることを思い出してそちらへ.

足利の観光駐車場へと車を停めてまずは足利学校へ.
足利学校は中世の関東地方の高等教育機関として栄えた場所でした.
関東管領上杉氏のはじめとして次々と移り変わる領主の篤い庇護を受けて維新期まで存続した学校でした.
藩校が残っていることはちょくちょくありますが,起こりも存在も藩校とはだいぶ違う特殊な学校だったのです.


維新期に敷地の東半分に小学校が建てられて孔子廟などわずかな建物を残すのみとなっていましたが,やがて国の史跡として指定され,方丈や庭園が復元され現在の姿へと整備されています.


時代のものでしょうが,回遊式じゃない庭園がちゃんと整備されているってのがまず驚き.
方丈の正面ではお茶会も開かれていてお昼時ののどかなひとときを醸し出していました.



足利学校からすぐ隣の敷地の鑁阿寺へ.
お寺ですが,同時に足利氏宅跡としての国指定史跡でもあります.
もともとここに足利氏の邸宅があったらしくその後にお寺を建てた模様.


お寺としてもかなり古く創建は1196年.
鎌倉時代創始期ですね.
足利氏といえば室町時代を思うかも知れませんが,ここはそれ以前の時代.
一郷氏である足利氏の祖先の時代なんですね.


鎌倉時代より前の遺構なんてそうそう残っているものじゃないんですが,さすがは寺社.
居館時代のものらしい土塁遺構がちゃんと残されているのです.
中世の居館となれば特徴は方形に囲われた土塁と堀.
お城とはひとつ違う”居館跡”としての様相がしっかり見られます.


当時はもっともっと高いものだったんでしょうが,それでもしっかりと土塁.
足利の街の雰囲気も道の感じもそうですけど,どこか躑躅ヶ崎に似ているのが面白い.
やっぱりこの町も中世を元にした街なんだと感じましたね.



鑁阿寺を後にして次へ行こうかと渡良瀬川沿いまで出てきたらずらずらずらと痛車が.
何事かと思って見たら痛車祭りをやっているとのこと.
何の因果かと思いつつもせっかくなのでと見物していくことに.


300台とかだった思いますが,まとまって痛車を見るのは以前の南丹痛車祭以来じゃないかな.
最近の痛車はなんか装備がすごいことになっていますね.
デコレーションがどぎついのは前にも見たことあるけど後ろにどでかいモニター付けたのやら改造と思しき細工から,車いじりの範疇超えつつあって痛車の進化を見ながらぶらついていました.
ほぼ全ての車がフルラッピングですし手切りの根性カーが見られなかったのはちと寂しいかな,というのが手切りのマグステ乗りの感想.


星メモ痛車ぱちり.
ふらりと寄っただけなのに知り合いが出展していたというね.


足利を後にして次は佐野市の唐沢山城へと向かいます.
唐沢山城は関東七名城と呼ばれた城.
江戸初期に廃城になっていますが,遺構を留めたまま神社になっています.


駐車場から枡形を通って城内へ.
規模はさほどでもないようですが,尾根をうまく使って縄張りを巡らせています.


大きな空堀.というより堀切かな?
今でこそあっさりした形に風化していますが,これかなりの規模だったと思いますよ?


登っていくと立派な高石垣が見えてきます.
関東の城ですが,江戸時代初頭まで使われていたということでちゃんと石組みになっています.
野面積みの高石垣っていつぐらいの年代を想定すれば良いんだろう・・・・・・.


神社へお参りしてから唐沢山城を後にして館林へ.



館林城というのを名前だけ聞いていたので行って見たんですが,ほとんど残っていないんですね.
科学館の裏手に土塁の跡が僅かに残っていましたがそれだけでしょんぼりしながら帰ってきました.

前日に思い立っての旅でしたが目的達成して思いがけない広いものもあってと満足いく旅だったと思います.
暑くなる前に館林へ行っておけたのもある意味正解なのかな?


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*