4日目は佐賀から大分へ.
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アルバム 130427-0506_九州 |
夜に入って雨になっていましたが,
夜中に車で寝ている間に土砂降りに変わり,明け方には弱まって小雨.
ま,つまり雨です.
雨だからと行って貴重な時間を空費するわけにはいきません.
近場で良さそうな所はないかと探し,柳川へ向かう.

小雨なのを幸いと考えて早朝に柳川の川縁を歩く.
柳と雨はよく合うんでこれはこれで風流と言うことで.
祭りの直前と言うことで船も設えてありました.
川縁をまったり散策して,北原白秋の生家前を通ってから昨日行き損ねた吉野ヶ里へ.
こういう前日にこなせなかったタスクからスタートすると半日から予定がずれるのでつらい.
大体その予定の後ろには大移動が入っているのでそれを昼間に行うのはさらに時間のロスですし.
吉野ヶ里到着頃には雨は傘の必要が無い程度にまで収まっていて,程なく止みました.
9時の開門と共に入りぶらり見学.
広いですね.車で駐車場はいる前にぐるり回ってみましたけどかなりの規模です.
使わなかったけど敷地内に移動用のバスが出ているくらい.

ゲートを入って一番最初に見えてくるのがこれ.
柵と土塁と空堀と乱杭と
弥生時代の稲作が始まった頃の遺跡ではありますが,そこには人と人との争いが存在します.
里の周りをこのような形で固める必要があったということが単なる集落でないことを物語っています.
実際,この内側にも大きな堀と柵が巡らせてあって歩いているとその物々しさを感じられます.

三内丸山遺跡と違って発掘はあらかた終わっているようでほとんどが公園として見て回れるよう.
遺跡保護のために埋め戻した跡を数十cmほど嵩増しして保護されています.
堀がコンクリで固められてますが,これもやむなしなんでしょうね.
堀に柵,櫓とでてくるとこれはどう見ても城郭のそれ.
守りの工夫が見られるあたり,それを進化させるだけの必要性があったと言うことでしょう.

個人的にかなり嬉しかったのがこの表示.
ちゃんと跡の再現出ない部分は示すのは大事.ここ疎かにしてるところ多すぎ.
とはいえ,建物自体も想像でしか無いんですけどね.
掘っ立て抗の配置と堀の位置,それから出土した物品から類推してそこに何があったかを再現して見せているにすぎません.
そもそも文献が残っている時代でないですし,掘っ立て小屋が今に残っているよ宇なことも無いですから,仕方の無いことなんですがね.
それでも細部はともかくこれだけ広大な敷地に一大集落を再現してみせるという勝ちは十分に持っている施設だと思いましたね.
吉野ヶ里は中学の修学旅行以来なんですが,ぜんぜん覚えていないんですよね.
当時は戦国時代にしか興味なかったし,小説媒体だったからたぶん一般修学旅行生と同じで何も見ていなかったと言うことでしょうね.
吉野ヶ里を離れると高速に乗って大分は竹田へ.
山を分け入って向かう先に大きな石垣遺構が残っています.
岡城は豊後の大友氏の一族である志賀氏のお城で島津氏の豊後侵攻を食い止めていました.
現在の城郭は志賀氏の後に入った中川氏の改修によるものだそうで,
織豊時代のお城らしく全体を石垣で固める作りになっています.

岡城の駐車場へ着いて入場料を払うともらえる登城手形とパンフレットがもらえます.
このパンフレットは巻物形式になっていてこの界隈ではわりと有名な面白パンフレット.
中には岡城の概略と地図が載っていて,裏側には絵図が掛け軸のように飾れるようになってる凝ったつくり.
こういう趣向は面白いし楽しくて好きです.

城内は森の中に作られた壮大な石垣城.
所々に大岩を利用しているみたいですが,そのほとんどが高い石垣で組まれています.
石垣城としては竹田城を比較する所ですが,規模は竹田城と比べるべくもない広大な広さを持っています.
ぐるりと回るだけで一時間位使っていましたね.

大手門のところで分かれる構造になっていて西の丸側と本丸側の二手になっています.
西の丸は敷地が広大.とても山の上とは思えない広さ.

西の丸一番奥の家老屋敷跡は建物遺構を床部分まで再現して見せています.
ちゃんと板で畳まで表現しているのでその部屋の構成までよく見て取れます.
こういう展示の仕方も面白いですね.費用面と見栄えと勘案して良い落としどころじゃないかな.

大手へ戻って本丸側へ.
西の丸と本丸の間は深い谷になっていて木々でこそが見えない.
良くこんなところに石垣なんて組んだなと思いつつ,石垣でなければ用地確保は出来なかったろうなとも思います.

本丸から西の丸と反対方向を見下ろす.こっちも深い谷になっていてはるか下を岡城バイパスが走っています.
荒城の月のミュージックラインが敷かれているみたいで車が通るたびに輪唱のように響いてたのが可笑しかった.
何で荒城の月かというと作曲の滝廉太郎が竹田の出身だから.
子供の頃遊び場にしていた岡城を想起して荒城の月を作ったらしいです.
確かにこの規模のお城が山の中に打ち捨てられていたら
昔の光いまいずこ…と思わずにはいられないです.

本丸を下原口までみてから大手へ引き返して駐車場へ.
山を下りて竹田の武家屋敷群を見ていこうと思ったのに祝日の翌日ということで軒並み休館日.
一箇所たりとも見る場所がなくて,通りだけ見て大分市内へ.

大分の中心地にも大分府内城が残っています.
といっても堀と石垣が残っていて櫓をいくつか復元しているというところ.
本丸内は駐車場と文化会館が建てられていてお城として見るにはがっかりな部分が多かったですね.
案内板もほとんど無くてちゃんと資料を持って行かないと何も分からないところでした.

大分の府内へ来たからにはとその足で別府へ.
凄いですね.街の至る所から白い湯煙が立ち上がっていて側溝からも湯気がたちこめているんですもの.
本当にどこからでも湯が沸いているんですね.
残念ながらもう日が暮れで地獄巡りも閉まってしまった後だったので,さっくり共同浴場で温泉を楽しみました.