120916 東北旅行 9日目 福島編

東北旅行9日目
いよいよ最終日です.

アルバム 120908-0916_東北







白石から二本松へと下り日の出.
この日まわる予定の場所は全て施設に寄らないと行けないので9時までのんびり猪苗代湖畔散策.
会津磐梯山を湖と一緒に撮りたかったので本道から南側へ半周.




山を上がらずに湖なので田沢湖や十和田湖とは雰囲気が違います.


一通り散策したら会津若松城へ.
八時台に到着したのでだだっ広い西出丸の駐車場も車はわずか.


西出丸から本丸へ.
櫓跡へ登って石垣を見たり,堀向こうの縄張りを見たり.


天守台.
天守は天守台より引っ込んで建っているんですね.
多くの城郭建築は石落としなど張り出している印象が強いのでなんか違和感.


石垣.
打ち込みの乱層積み,でいいのかな?
未だに積み方の区分けが出来ていない.


会津若松城天守は鉄筋コンクリートの外観復元.
戊辰戦争籠城戦を戦い抜いて古写真が残される程度には残存していたんですよね.
戊辰戦争において大砲の砲撃を雨のように浴びたらしいですが,持ちこたえたと言うことなのでしょうか.
大坂冬の陣の話を考えると維新期の大砲でどうなんかとも思うのですが,
まず,幕末維新期の知識が足りないのでなんとも判断しようがないですね.


若松城は平山城なので本丸の塁上からは会津の街並みが見渡せます.
梯郭式の構成で周囲は水堀.
よく考えたら二の丸行ってないや.


天守と走り長屋と鉄門.
天守内部は資料館.
やはり展示のメインは戊辰戦争.


出口の売店で目的を達成してからそのまま走長屋へ.
みんな八重の桜のパネル展示に群がる中で
私だけ復元工事のパネル展示を読みふけっているやっぱり私はマイナーなんでしょう.




本丸内の茶室麟閣へ.
藩主の茶室としてこの場所にあったものですが,戊辰戦争後に別の場所に移築されていました.
それを再び元の場所に移築復元したもの.


このあとは会津を離れて二本松へ.
二本松城へと向かいます.


二本松城も門が一部復元されています.


茶室洗心亭.
これも維新後別所へ移築され再び現在地へ再移築された模様.


空堀跡?
結構山を上がっていきます.
駐車場から敷地を本丸方向へ向かうんですが,
“本丸修繕工事のため立入禁止”と.
やはり震災で石垣が崩れたとのことで年いっぱいは立ち入り禁止だとか.


ここも土塁構造に本丸と要所が石垣の構成のようなのですが,
肝心の本丸に行けない以上見るのは土塁ばかり.


搦手門の石垣.


遠巻きに見る本丸石垣.
立派なんですが近寄れないとか残念すぎます.

ここを出て車道を辿ってお城を一周.
車道だから切り岸なのか道路工事の影響なのか分からない地形を歩く.




やがて復元エリアに.
立派なんですが,本丸が(以下略

その後歴史資料館に立ち寄って目的を果たし,史料を見学.
完全に戊辰戦争白河口の戦いについてでした.


そこから南下.
白河は小峰城へ.


小峰城は木造での忠実な復元天守があるお城として知られています.
復元は1991年と数少ない木造復元天守の先駆けとなりました.


しかし,こちらも震災の影響で10箇所に渡って石垣が崩落.
それもかなりひどいらしく本丸はおろか石垣のほとんどの部分には立ち入り禁止柵がありました.
復元された天守も立ち入り禁止.
復旧には数年規模でかかるとか.


確かにかなり大規模に崩れています.
まずは崩落した石ひとつひとつを調査して番号付けと元の場所把握,
および石の年代や再利用の可否について調査していくところから.
作業は本当にこれから.


まだ手がつけられていない崩落面から石垣の裏構造が見て取れます.

二の丸にある集古苑にて小峰城というより八重の桜の展示を見て,
何も見られてないので目的もへったくれもない気がするけど目的を果たす.

これでこの日の行程,ひいては旅行の全行程完了.
高速へ戻り,自宅へとひた走ります.

日曜日の夕方で,案の定渋滞に巻き込まれPAにて仮眠とったら深夜.
とはいえ白河から埼玉とか近い近い.
3時間くらいで家に帰ってこられて拍子抜けな感じでした.



ということで全行程4398km.
ついに長距離旅行で4000kmオーバー,本当によく走りました.
これで長かった夏の旅は終了.
旅行記も完了です.
お疲れ様でした.


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*