120912 東北旅行 5日目 八戸・下北半島編

東北旅行5日目は青森.
太平洋側を北上.

アルバム 120908-0916_東北







暗いうちに日本海側の秋田から一気に太平洋側へと移動.
八幡平を越えて二戸を抜けて金田一温泉郷へ.


ここには座敷童で有名な宿がありました.
緑風荘という宿なのですがここには座敷童の目撃情報多数あったそうな.
旅館は数年前に火事で全焼との事でいま再始動中だとか.


空き地の隅に唯一火事から逃れた座敷童を祀るという亀麿神社があります.
小さな祠ですが大事にされていることがよく分かるお社です.
しばしお参り.


跡に足湯が建てられていて無料開放されています.


そこから数km戻って九戸城へ.
全く調べていなかったのですが,ナビを見たら書いてあったので寄ってみました.

これが大正解.
本丸二の丸だけでなく周囲の郭を含めかなり広大な敷地が史跡指定されていて遺構もよく残っています.
二の丸本丸部分は公園として芝が植えられ整備されていますが他は割とうっちゃってありますかね.
それでも下草ちゃんと刈ってあるので歩くに困難はありませんでした.


まずは二の丸から本丸へ.
二の丸の外は土塁と石崖になっていて堅固になっています.
山間に二戸を流れる馬淵川が河岸段丘を作っていて,その断崖を利用しているみたい.


堀の内側に見えるのは石垣.
本丸部分は石垣を使っているんですよ!


そして本丸へ入るにきっちり線引きされた虎口.
堀もそうですが二の丸本丸は縄張りが直線的になっていて近代城郭の構えをしているんですよ.


九戸城に居した九戸政実は豊臣秀吉の意に逆らった最後の武将.
秀吉が所領安堵していた南部氏の領地を一揆に乗じて侵犯.
南部氏が秀吉へ情勢を訴え奥州仕置の軍勢が挙がり九戸籠城となります.
九戸城が開城されたことで秀吉の天下統一は完了.
九戸城はその後蒲生氏郷の手により改修され,居城が盛岡城へ移るまで南部氏の居城でした,

つまり,この近代的な城郭は蒲生氏の手によるものなんですね.
石積みは野面積みみたいなので時代的にも合いそうです.


追手門には橋が架けられています.
が,なぜか斜め.石垣の形からしてまっすぐに伸びてたんじゃないのかとも思うんですが,資料無いので分からない.


二の丸から奥へ行くと広い空堀を挟んで外舘があります.
本丸二の丸とは郭が異なる連郭式の構造は中世城郭のスタイル.
つまり,九戸城は中世城郭構成と近代城郭構成が同居しているんですよ.
それでいてこれほど広大な領域がこれほどはっきりと遺構として残っている.
もう素晴らしすぎます.これは竹田城に次ぐ感動かもしれない.
それも何気なく行ってみたら,なんですもの.九戸城おそろしや.

このほかにも別のところにまた舘跡がある様なのですが,予定外の寄り道に予想外の探索で時間はどっぷりオーバー.
仕方なしに次の目的地へ.

二戸から30kmほど.
剣吉駅の外れに斗賀神社というのがあります.
ここが三湖伝説の南祖坊の誕生の地と言われています.

しかし,目的地に着くも車を停められそうなところが無い.
畑仕事をしていたおばあちゃんにお参りをしたいんですが…と訪ねてみたものの,
おばあちゃんの東北語曰く駐車場はないと.
参詣する人はあまりいないんでしょうか?

迷惑駐車するわけにも行かないので涙を飲んで斗賀神社を諦め次の目的地へ.


斗賀神社断念した事で九戸城でのタイムロスがカバー出来,予定時刻に根城へ.
根城は14世紀,南北朝期のお城です.
中世城郭としてメジャーな連郭式の館構成.
廃城後田畑だったところを史跡指定,発掘調査の上で本丸部分に建物復元を果たしています.


堀跡.


当時城内に植えられていたという薬草が効能とともに示されています.


奥の本丸へと連なった館を歩いて行きます.
これまた曇り予報だったのに綺麗に晴れてくれました.


本丸部分.
ここは建物が復元されているエリア.


倉庫.
南北朝時代といえどこの規模なら掘っ立ててるんですね.


主殿.
内部は部屋の再現展示と建物復元に至るまでの展示.
文献などは残っておらず発掘調査による柱跡を手がかりに建てたという事なので
いかな復元建物といえどその再現度はいかばかりか分かりません.

それでも14世紀から17世紀までのべ400棟以上あったそうなのでよくまあここまで分かったなぁと思わざるを得ないところ.


それに,いろいろなタイプの建物が見られるというのも勉強になっていい.
開場まもなく入ったのであたりに人はなく実にゆったりと回れました.
今一度受付へ行き目的達成後八戸市博物館へ.

八戸藩の歴史と文化を一通り見学して車へ.


八戸から北へ,北へ.
三沢基地から飛ぶジェット機と小川原湖を素通りし,六ヶ所村も素通り.


猿ヶ森砂丘へ来てみたものの何もない.次へ.

対向車の来ない海沿いの道を快走すること10分.



尻屋埼灯台です.


絶景かな.
青い海と白い雲に灯台.


そして寒立馬.
灯台のある一帯が放牧場になっているのでタイミングがいいと灯台と一緒に撮れるみたいですが,今回は柵の内側でした.


放牧場なので馬が逃げないよう車道にはゲートがあります.
17時(だったと思う)にはロックが掛ってしまうので閉じ込めに要注意.



そこから下北半島中央の宇曾利山湖へ.
まぁ恐山のことです.


お参りをしたら左手の地獄へ.
溶岩流跡でしょうかごつごつした岩と強い硫黄臭,ところどころ立ち上る白煙はまさに地獄.


火気厳禁.


歩く岩肌は針の山でしょうか.
向こうに見える穏やかな湖をして極楽とはよく言ったものです.


極楽浜.
静けさが支配するししらし~んとした穏やかさ.
歩いている間ずっと地獄八景亡者戯が頭の中を流れててどうしようもなかった.
ま,なぜか急く私は自動車でそのまま次の場所へ.



むつ市を経て海峡ラインを走って仏ヶ浦へ.
海峡ラインは海から高さのあるところを通っていて,
仏ヶ浦の駐車場も海からかなり高いところにあります.
調べたら高さ100mくらいあるみたいですね.
駐車場から急な坂と階段を下ること約10分.


海まで降りると絶景が待っています.
仏ヶ浦とはよく言ったものです.
確かに仏ですわ.


写真では分からないかもしれませんが岩一つ一つが見上げる高さ.


下に人が写っているの分かりますか?


近くの港から観光船が出ている関係で桟橋が設えてあります.

太陽は傾き加減.
最後の目的地に間に合うかどうか微妙なので急な階段を急ぎ登ります.
急いで登って約10分.
大股な私が歩数数えて830歩を数えました.
時間に余裕持ってきた方がいいですね.あるいは船か.

海峡ラインをさらに北へ.


しばらく行くと展望台が有り仏ヶ浦が見下ろせます.
写真を撮ってさらに北へ.




車載動画より.
なんとニホンザルの一群に遭遇.
悠々と道を渡っていて車が来ても恐れないんですね.
こっちとしても対処のしようがないので徐行で抜ける.

通じて大小の群れ3つと遭遇してテンションは上がりつつ
道半ばにして夕焼け.


日の入りしてから最終目的地である本州最北端の大間崎へ.


大間崎.
右に光っているのが大間崎灯台.
中から左に光っているのが函館夜景です.
大間崎から函館までは直線にして17km.
明々とした夜景が間近に広がっています.


三脚無いので縁台に置いて撮影.

日が暮れてしまうともうあたりは真っ暗.
飲食店も店じまいでどうしようもないんですが,さすがは日本.
ここにも温泉が湧いています.
温泉でリフレッシュ.

温泉を出た頃にはとっぷり日も暮れていい頃合いの夜景.
真っ暗な中を西吹付山展望台へ行き,夜景を楽しみます.


明々と光る街灯りと遠くの函館山.
向こうから大間の灯りも見えているんでしょうかね.
函館夜景はこれで函館山からと裏夜景,この横夜景三つの夜景を制覇出来ました.


空は満点の星空.
夜景に負けじと輝いていました.


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