120910 東北旅行 3日目 岩手編

東北旅行3日目
この日は岩手をまわりました.

アルバム 120908-0916_東北







夜明け前に出発し,東北道から太平洋側へ.
東北旅行と言う以上,一度は見ておかねばならないのが津波の被害地域.
観光旅行のついでというのが気に掛かるのですが,
避けるのも嘘だろうということで一箇所立ち寄ることにしました.

それが陸前高田.
高田松原と言われた国の名勝地です.
津波の被害を受けてなぎ倒されたものの一本だけが倒れずに残り一本松として話題になりました.
しかし,地盤沈下と海水によって保護が不可能となりこの週の12日に伐採されることが決まっていました.

現地に極力迷惑にならないようにと早朝にひっそりと寄るつもりで明け方到着.
山間を抜けて開けた土地に出てきたら異様な風景でした.
アスファルトの道が走っているんですが,周囲はただ,何もない広っぱ.
遠くに鉄筋コンクリートの建物がいくつか見え,時折重機がぽつぽつと置いてある状況.
ナビには住宅地であろう細かな道や店の名前が表示されていて,眼前との対比を突きつけてきます.

ゆっくり走りながら高田松原へと向かい,同じ目的とおぼしきタクシーの運ちゃんに駐車場を確認をとる.


一本松までの道は案内とガイドがしいてあって迷う事はありませんでした.
ゆっくりと夜が明けてくると周囲の状況が見えてきます.




想像を絶するという言葉はこういうときに使うものなんですね.
体育館が屋根を残して鉄骨だけになっている,二階建ての建物の屋根の上にまでがれきが乗っている,
これが何を意味するのか頭で理解出来ても,それがどういう状況にだったのか想像出来た自信がありません.

事実,帰ってきて考え直してみたら思い残してることがいろいろ出てくるんですが,
あの場に立ったときはもう目の前の事を理解する事で精一杯でした.




希望の松と共に復興の兆しを見ようと立ち寄ったつもりでしたが,
がれきもいまだ積まれていてまだ始まってもいないと感じられるほど.
とてもじゃないですが季節が一回りしているとは感じられない光景でした.


高田松原メモリアルフラワーロード.
静かな街中にひときわ鮮やかに映っていました.



陸前高田を離れて一路平泉へ.
ここから3日目の旅を再開.
八時過ぎに中尊寺へ入り参道を登る.


中尊寺は小高い山の尾根道を参道としています.
脇にお堂や社を見ながら本堂へ.


途中開けたところから衣川が見えます.


本堂へお参りして,


金色堂へ.

ここもやはり昔に来ているのですがはっきりとは覚えておらず,
しかし金色堂をみると思い出されてきますね.


旧覆堂.
金色堂は建立されたのが鎌倉時代ですが,100年と経たずに屋根がかけられ,
時代と共に覆堂へと改修されていきました.
昭和38年からは現在の鉄筋コンクリートの覆堂へ.


白山神社の能楽殿.
こちらも時代を感じられる立派なもの.


小学生の頃の旅行で唯一覚えていたハス.
金色堂内の棺で800年眠っていた種が芽吹いたという中尊寺の古代ハス.

中尊寺から車で5分かからない程度のところにあるやはり世界遺産の毛越寺(もうつうじ)へ.
ここには奥州藤原氏が創建した大寺院跡があります.
建物こそ焼失していますが,寺院跡と庭園が良好な状態で残されており当時を知る遺構です.
中央の大泉ヶ池は復元され当時の趣を示しています.


遺構と庭園双方を持って特別名勝であり特別史跡でもある境内.


寺院跡には礎石がしっかりと示してあります.


やはり復元の遣水.
平安時代の遺構としては唯一のものだとか.


池は海を表わし州浜は水の昇降でその趣を変えて楽しんだとのこと.
この時代から庭園に映すものは同じだったわけですね.


庭園の立石島は震災被害による修復と併せた発掘調査中.
水の下はこういう様になっているんですね.

庭園を見てから宝物館で展示を見て高速へ.



向かうは盛岡.
高速でICからICなので距離のわりに早いですね.
お昼過ぎには到着して駐車場へ車を放り込んでひとまず裁判所へ.


盛岡地方裁判所前には石割り桜が植わっています.
大石の上にこれまた大きな桜の木.
樹齢は350年~400年だそうで国の天然記念物です.


なんとも力強い姿.



地裁から南へ歩くと盛岡城跡.
お堀を歩くと神社脇の大きな烏帽子岩が見えてきます.


そして立派な石垣.
ぐるっと回った感じだと総石垣で組まれていてどっしりとしたお城です.
このあともお城を巡っていますが,そのほとんどが土塁,部分石垣でしたが,
盛岡城だけ石垣で固めてある東北では珍しい部類のお城ではないでしょうか.


二の丸も本丸も広くて南部藩の居城というだけありますね.


二の丸と本丸の間の空堀とそれを繋ぐ橋.
当時は二の丸御殿と本丸御殿を繋ぐ屋根付きの橋だった模様.


本丸より盛岡市内を眺める.
どう見ても降ってます.
こっちに来ないで欲しいなと思った矢先にぱらぱらと.
しかし折りたたみ傘引っ張り出して散策続行.


明治期には公園として整備されたということなので
こういう階段もその名残なのではないのかな?


ちょこちょこ遺構の改変が見られながらも石垣だけあってよく残っています.
また規模のわりには木々がまばらで縄張りが見やすいのもよかったですね.

一通りまわったら公園内の「もりおか歴史文化館」へ.
盛岡城と盛岡藩を中心に盛岡の歴史と文化が展示してあります.
一通り見てから観光情報コーナーで目的を達成して車へ.


この時点で14時.
ここから東へ下道80km.
山道2時間走って龍泉洞へ.

下道とはいえ山道なので上り下りがある以外は至って走りやすい道.
眼前に迫る大きなトラックさえいなければ実に快適な道だと思います.
なんだかんだで運ちゃんも心得たもので適当なところで道を譲ってくれるのでありがたいです.
軽自動車な私もちょくちょく道を譲りつつ山道走っていたら途中の道の駅三田貝分校が目に入る.



むむ,なんかどこかで見たような・・・・・・.
木造風赤屋根に突きだした玄関.
しかし,ここは岩手だし,一階建てだし.むむむ.

昔ここにあった分校を模して建てた道の駅だと言う事で,
昔の学校だと言われれば雰囲気が似ているのもうなずけるんですが・・・・・・.
さすがに可能性は低いだろうと思いつつ写真だけ撮って当初の目的地へ.


龍泉洞.
ここは日本屈指の地底湖を持つ鍾乳洞で日本三大鍾乳洞のひとつ.

駐車場からそれなりに歩きますが,チケット売り場が分かりやすく示してあるので迷う事はないですね.
また,夏期は18時まで開いているので16時到着ですがゆっくり見る事が出来ました.

入口入ってすぐにひんやりとした冷気に包まれ木橋の下をごうごうと湧水が流れていきます.
薄暗い中をしばらくは細い間窟を抜けるように木製のデッキの上を歩きます.


平日で人がいない事を強みに(実は結構人いたんですが)颯爽と三脚を展開.
いや,この光量では三脚ないと何も出来ないんですよ.


最初の間窟を抜けると流れが穏やかになってきます.
透明度が高いので湖の中の様子もよく分かります.


そして洞窟のライティング.
ライトがゆっくり色相をまわっていくのでシャッター切るタイミングでその印象が変わります.


なんかもうここどこやねん.
魔王さっさと出てこいやって感じです(何


この段階で結構奥へと来ているんですがさらに階段を下り奥にある地底湖へ.


第二,第三地底湖と来て,最奥.
このライトは第三地底湖の水中にあるんですが写真だと水表面が見えないので
写真だけだと湖面を撮ってること分からないかもしれませんね.


ここから階段を上る.
洞窟の中なのに縦に階段が幾重にも伸びていて一気に水面から35mのところまで登ります.


そして上から見る第一地底湖.
先ほど通ってきた通路越しに水面が見えます.
ここは結構暗いので長時間露光をすると環境光の色相が加算されてシャッターのタイミングが難しい.


気がついたら時刻は17時半.
洞窟内で1時間半も滞在している事実に驚愕.
撮影に夢中で時間を忘れていました.
すっかり体も冷えて奥歯がなり出す始末だったのでペース上げて見物.

表に出るなり眼前がホワイトアウト.
眼鏡が曇り三脚が水滴を落とし,カメラが露に輝く.
温度差と湿度があるせいでえらい事になって泣きそうになりながらカメラを拭いていました.

一段落したら道の反対側にある龍泉新洞博物館を見学.
博物館と言っていますが鍾乳洞のことで,
いろんな鍾乳石が見られるということから博物館と銘打っている模様.
博物館なので内部は撮影禁止.
展示もいろいろあってそれなりに楽しんでみられたかなと思います.

洞を出たら日が暮れなのですぐ脇の温泉でリフレッシュして暗くなった道を盛岡へと下道80km戻りました.


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