120909 東北旅行 2日目 宮城編

さて東北旅行2日目.
でも東北旅行はこの日から開始.

アルバム 120908-0916_東北







前日函館なのになぜか宮城スタート.

土日天気が悪いということで土曜日函館だったわけですが,日曜日も悪天のまま.
それでも南側はまだ曇り予報だったので青森から一気に南下.
宮城の仙台,青葉城へと向かいました.

ナビに従って青葉城へと向かったわけですが,大手門からの途上ルートは石垣崩壊に付き通行止め.
大きく山を迂回して本丸の駐車場へ入りました.


仙台城または青葉城という伊達氏の居城は遺構そのままに本丸が神社と資料館,
二の丸が東北大キャンパス,三の丸が博物館として利用されています.
細かな曲輪や縄張りこそ曖昧になっていますが門の遺構が残っていて,本丸三の丸間の郭は興味深いものでした.
また,青葉城が利用している青葉山の天然の要害もすごいもので,
本丸東面の絶壁に南側の渓谷,北も切渡されていて,西は山とよくもまぁこれだけの地を見つけたものです.


東の絶壁からは仙台の街並みと遠く松島とおぼしき地陰が見えました.


時間が少し早かったので大手門へと歩き下ります.
北面の高い石垣を背にして急な坂を折れ下っていくと虎口になった中門が表われます.


が,これが件の災害で崩れた石垣.
災害復旧ということで調べたらやはり東日本大震災で崩れたものみたいです.
文化財保護という観点からすると石垣の石積み一つも疎かにする事はできないので
一年半経った今でも時間をかけて積み直しているみたいです.


石垣一つ一つには番号がふられ積まれている状況が見て取れます.


こういう修復の場というのはなかなか見られるものではないので,
徒歩でだけでも通行出来るようになっているのは有難く思いました.


大手門跡,脇櫓を抜けて三の丸から再び中門後へ回り込んで再び北側より本丸へと戻り,開館した資料館を見学.
見るところは主に3つあって,青葉城について展示した見聞館と
伊達家と仙台藩についての資料展示館,そして明治維新から太平洋戦争期の戦没者について展示した英霊顕彰館.
どれもテーマを異にしながらこの地の歴史を物語ってくれる興味深い展示でした.


青葉城を後にして今度は多賀城へ.
途中仙台駅前へ寄って電撃文庫の新刊を買ったりしましたが,
お昼頃には多賀城史跡の駐車場へ.

多賀城は城と名が付いていますが,いわゆるお城とは別の存在で,中国的な城にあたります.
平城京の時代に蝦夷への備としておかれた国府であり,陸奥国の一大拠点として整備された都市ですね.
建てられたのが724年ですから時代背景が根本から違います.
平城京,太宰府と並び日本三大史跡に数えられる特別史跡になっています.


政庁跡へと続く太いメインストリート.
この政庁跡を中心として一辺約900mのいびつな方形に囲われていました.
発掘後の遺構整備で建物跡の形が礎石やコンクリートで示してあります.

きっと発掘が行なわれる前は寺社田畑だったんだろうなと思えるのどかな小高い丘ですが,
ここがこの地方の重要拠点だったというのは何とも不思議な感覚です.


やはりここも震災の影響で亀裂や歪みが出たと言う事で,修復と同時の発掘調査中.


政庁跡裏から農道を抜けて六月坂地区へと.
こちらは政庁跡の北側に位置する役所や倉庫跡.
写真で見ると全然分からないんですが,紫波の陰にブロックで建物跡が形取られています.

そこから車道を抜けて多賀神社と貴船神社,多賀城神社をまわって政庁跡へ戻り
メインストリートを南下.


日本三古碑と言われる多賀城碑へ.
762年に建てられたといわれる古碑で,今は覆堂の中.
多賀城の位置と国府建立の由来が記されています.

そこから車で踏切渡ってすぐにある東北歴史博物館.
多賀城を中心として東北地方の歴史について展示があります.
一通り見たのはいいんですが,目的の物がここにはないと知って最寄りのポイントへ.
ちゃんと事前に調べておくべきなんですよね.聞いたら分かることなんですけど.

国府多賀城駅へ行き線路を越えて観光案内所へ.
観光ボランティアのおっちゃんと話をしつつ,
“やっぱりみんな城郭を連想するんですね~”とか
“中国風の城は馴染みないですよね~”とか
“これから東北まわってくるんですよ~あっはっは~”
みたいなこと喋りながら目的の物を確保.
こういう話出来るのも旅の醍醐味.


歴史博物館裏の今野家住宅を見学させてもらってからそのまま廃寺跡へと歩く.
けど,現地行ったらちゃんと駐車場あるんですよね.
歩かず車で来たらよかったと思うもののあとの祭り.
や,歩くからこそ見えるものもあるので後悔でもなんでもないんですが.




こちらも綺麗に整備されていて,礎石と建物跡がしっかり示してあります.
金堂跡とか言われても何する所だか分からないのは勿体なくもあるので,
ちゃんと宗教建築とか歴史建築の勉強もしたいなと思うだけ.
後々の事考えるならきちんと勉強した方がいいんですけどね.

多賀城を後にして松島へ.
もう時刻は16時を前にしているので海に目もくれず瑞巌寺へ.
観光において死守すべきは入館期限の16時半ライン.

ところが瑞巌寺に行ってみたら建築物の大修理中(H21.9~H28.3)
修理は文化財保護に必要な事だし,これも巡り合わせなので致し方なし.


代わりにという訳なのかは分かりませんが特別公開の国宝の庫裡.
松島瑞巌寺は小学生の頃に来ているのですが,全く覚えにないんですよね.
こんなところだったろうか?というのは本堂入れば分かったのかもしれませんがそれもはっきりせず.
撮影禁止のところを抜け青龍殿での展示を見て,正面から松島方向へ.


大きな杉並木の参道.
こういう時間が物を言うものが残っているのは手厚く保護された寺社仏閣の特徴.


参道脇には修行の場に用いられたという石窟群.



そこからようやく海側へ松島へ.
時刻は17時をまわり曇りでもあるためうっすらと暗くなってくる頃.
観光客もほとんど帰ってしまったひっそりとした五大堂から島々を眺める.


実は小学生の頃に来たときに見て日本三景と言うほどすごい物なのだろうか,と思ったのですが,
今回も同様に思ったわけですよ.この風景を見て.
確かに湾内に島々が浮かぶ風景は素晴らしいものですが,
先月見てきた芸予諸島の隆々とした島々の景観に比べるとね,と思ってしまうんですよね.

しかし帰ってきて見てみるとこれが見方が違ってるのが面白い.
これ枯山水なんですよ.枯れてないけど.
瀬戸内の密集した島々の力強さこそないものの,そこはかとない奥ゆかしさは分からなくもないかな,と.
それでも私は瀬戸内の方が好みですが,双方の趣きは分かりますね.


本当は奥松島へも行きたかったのですが時間切れ.
帰りに双観山の展望台からも松島を眺めて仙台へと引き返しました.


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