

明るくなった頃に土佐山田駅から行動開始.目的はもちろん「ものべのHappyend」の舞台探訪.
現状だと舞台探訪のまとめ記事がいつになるか分からないのでとりあえずここにまとめて放り上げておきます.

そこから山間へと入っていって大栃へ.

大栃診療所.

大栃の商店街.

八王子宮.

大栃を離れてさらに山奥へ.ほんとぽつりぽつりと家があるんだけどよくこんなところにという感しかない.


十二所神社.

国道からそれて細い道を行く.地図で見たら国道から対して離れていないのにえらいところへ迷い込んだ感があります.

小松神社入口.

神社前に診療所なんてあるのか~って感心して見てみてなるほど.

階段をどんどん下って神社へ.確かに下って参詣は珍しいね.

神社.さみしいわけではなかったけど,なんだろう一人取り残されたみたいな心細さがありましたね.

裏手にある流れのすぐそばまで降りていけます.神社はこの流れを祀っていることになるのかな?

帰りはこの石段を上がり続けるわけで,結構しんどい.

しんどいのは私だけではないみたい.ごくろうさんでもない.
国道へと戻ってべふ峡へ.

べふ峡の川辺へ.

上に見える紅い吊り橋.

名前はこっちの錦渓橋からか,もしくは新錦渓橋からかな?

この奥は道が崩れて当面通行止めになってるとか.

バス停は違うっぽいかな.

集落をあちこち探してたけど該当箇所は特定できず.

一通り回ったので下の方へと下りてきて,轟の滝へ行く途中で出くわした山崩れ現場.

轟の滝.滝のモデルは一昨日に見てきたので参考ついでに見に来た感じでしたが予想以上に凄いの.80mの高さを三段になって落ちていて,間の二段は綺麗は甌穴になっている.

こんな滝知らない.なにこれ.ここ絶対神様いるでしょ?

一番下まで降りられますが,滝壺まで行けるわけではない

遊歩道から甌穴の真上に出られるんですが近すぎてなのか圧倒されてたのか何撮ってるのか分からない.

滝の神様を祀っている轟神社.

物部村から離れて龍河洞へ.ここは二年前の正月旅行で来た場所ですね.


入口が神社になっているんですが,勧進されたのは割と最近のことのよう.



龍河洞は狭いんですよね.ギリギリだったり頭かすめたりしながら改めて見学.

龍河洞を見終えたら本日のメインイベントのために高知県立歴史民俗博物館へ.敷地内にある古民家でいざなぎ流神楽をやると言うことで昨日予約をしていました.定期的にやっているのかと思ったんですが,歴史民俗博物館での開催は三年ぶりだとか.大栃では定期的にやられているらしいですが,それでも保存のためでやっぱり実習慣は廃れてしまっているよう.それでも旅行中のこのタイミングで巡り会えたのは幸運以外の何物でもないでしょう.

三時間の予定でかなり長丁場だと思ったら部屋の飾り付けから見せていくのだとかで,保存会の人が部屋の飾り付けをせっせと進める.
いざなぎ流は物部村を中心とした民間信仰で陰陽道,修験道,仏教,神道などなどが入り交じって出来ている独特なものだとか.古く中世末期の信仰形態を残していて,当時は全国的に行なわれていたものが全国的に廃れたにも関わらず,この地域だけ伝承が引き継がれてきたと考えられています.集落の中に信仰を修めた太夫と呼ばれる人がおり,請われたときに各家での祭りを執り行ったり,祈祷や祈念,米占いなどの神事を行ないました.儀式がとても丁寧で長く,ものによっては1,2週間もずっと儀式をやっているようなこともあったのだとか.

幣を切る.
今回はその儀式中のオンザキ様の神楽の一部をやるとのこと.オンザキ様は家にいる神様だそうですが,いろいろな解釈があって詳細はよく分かっていない,と解説をしていた資料館の先生が言ってましたね.ものべので出ていたオサキサマがこれに当たると思うけど,作中では家の先祖であると当ててましたね.今,資料館で買った解説図録と見比べながら書いていますが,作中のひめみや流は確かにこのいざなぎ流をモデルにしているんですが,細やかな解釈を変えていますね.ど素人なので比較した記事まではとても書けないけど,見比べると実に面白いです.でも舞台探訪記事を作るときには簡単にでも記述したいね.

小一時間で準備を終えて太夫さん達は着替えに.

何と手の込んでいることやら.


そうこうしているうちに神楽が始まります.神楽と言ってもよくある舞を舞う部分はごくわずかで,大半は写真のように輪になって延々と神様への語りかけの文言を唱えるというごく地味なもの.資料として語る文言を書かれたプリントが配られていたのでそれを追いながら今どの辺りの神楽なのかを知ることが出来ましたが,なかったら寝落ち以外の選択肢はなかったと思う変化のなさでした.プリントを見ているとちゃんと言葉は追えるのですが,単語が分からないものもあるので解釈まではなかなか.大ざっぱに言っている意味が分かるという感じでしたね.でもあの節回しは独特で今も覚えていています.七-五調ではあるけど七-十二調とでも言うようなか的でしたよ.

小一時間延々と文言を唱えたあと立ち上がって舞の方へ.

これは扇の舞.神事で使う道具もひとつひとつ舞で清めて(穢れを落として)いくらしい.他にも尺丈,たすき,へぎ(盆),太刀,弓などをの舞もあります.

ノトを打つ.ここまでやってきた神様へのお願いに対して神様の答えを氏子に聞かせる.

五印鎮め.

最後の注連上げで部屋の飾りを切って回ると神楽はおしまい.二時間ぶっ通しでも略式.本来の神様への儀式はこれだけ丁寧にやるんですね.やっぱり江戸時代に宗教感覚を変えてしまうだけの変化があったと言うことなんでしょうね.


夕方近くになったので明るいうちにもう一度,物部をまわり,暗くなってから山を越えて徳島へと入りました.